BIG JOHNとの出会い①

BIG JOHNとの出会い①

みなさんこんにちはmatsuです。

今日は私がBIG JOHNに入社するまでのお話を書いてみたいと思います。
個人的な事ですみません・・・。

 

私matsuは、香川県の瀬戸内海に浮かぶ小さな、小さな佐柳島(さなぎしま)で
生まれました。
現在は猫の島として、少々有名になっていますが。

家から歩いて1分、学校からは5歩で海。
信号機なし、同級生は1人、小学校の全校生徒6人。
サッカーも野球もできません。
体育の授業は全校生徒で、運動会は島民全員参加です。
それから良くテレビ番組で、先生が島を離れる時、紙テープでお別れをするシーンが
あると思います。
あれを実際に9回経験しました。船での別れって、本当に寂しいのです・・・。
そんな環境で中学まで過ごしました。

高校からは島を離れての生活。
1学年12クラスある比較的大きな高校に入学しましたが、これまで教室には
生徒2人、先生1人しかいなかった自分が、40人を超える教室に放り込まれた
のですから、その衝撃は言うまでも有りません。
それでも、友達はすぐできました。
あだ名は【シマオ】漢字で島夫と書きます。
あまり好きではなかったけど、巨大な集団の中で生きていくために、
これを受け入れたんだと思います。

部活はモテるかも?という不純な理由で選んだテニス部。
しかし、何の情報も得ぬまま入部した自分が悪く、実は強豪校だったのです。
しかも1年の時のクラスの担任は熱血顧問。
練習中の態度や礼儀には厳しかった。
練習中に度々「オレが良いって言うまでグランド走っとけ!」と怒号が響く。
だいたい「良いぞ」という言葉はなく、日が傾き、ボールが見えなくなる
練習終了まで走らされていました。
あとから考えればこれが良かった。
テニスが楽しくて、楽しくて。のめり込む私。

ファッションと言えば、制服とテニスウェアの二択。
ステファン・エドバーグのアディダスのウエアに憧れ、マイケルチャンの
コートヴィクトリーポンプを履き、アンドレ・アガシのデニム柄のラケットケースを持ち
そんな青春時代を過ごしました。
※エドバーグの髪型にもあこがれましたが、それは叶いませんでしたww

 

大学は県外の大学に進学。
当時、レプリカやヴィンテージブーム真っ只中。
愛読書は雑誌【BOON】

雑誌で得た情報をもとに、セレクトショップや古着屋をめぐる毎日。
赤耳+チャンピョン+コーチジャケット+レッドウィングがお決まりのコーデ。
※インスタグラムに出てくるレッドウィングは当時のものです。

6畳1間の、教科書が並ぶであろう本棚にはスニーカーが並び、壁にはジーンズが吊るされ
クローゼットにはTシャツとスウェットが占領していました。

そんなある日、親父から「旅行で近くに行くから、寄るわ」の連絡。
片づける間もなく到着。
部屋に入った親父は、その時どんな感情を抱いたのでしょうか。
雨の日も、時化の日も漁に出て、稼いだお金で支払ってくれた学費や生活費。
黙ったまま二人で、狭い部屋で酒を飲んだのを覚えています。

バイトはスーパーの総菜屋。
ボロボロのジーンズから、パリッとした白い作業着に着替えて、来る日も来る日も
すし飯を炊いていました。
ある日、翌日実家に帰省することを店長に伝えると
「田舎に帰る時くらい、キレイな服を着て行け!」
と、封筒に入ったお小遣いをくれました。
よほど、汚たない格好に見られていたんだと・・・・

そして当時弾き語りに夢中になり、路上に座り込んで唄っていました。
胡坐をかいて弾くものですから、レッドウィングの側面には傷が入り、
今も消える事はありません。
その傷を見るたびに、当時を思い出すのです。

時は経ち、4回生になり、いよいよ就職活動です。
地元香川県一択と考えていたのに・・・。

ここから【BIG JOHN】という、会社に出会う事になります。

この続きはまた今度書きますね。

本当に個人的な事ですみません・・・。

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