みなさんこんにちは、matsuです。
今日も私の趣味ランニングの続きを書いてみたいと思います。
テニスをもっとうまくなりたいと思って始めたランニングでしたが・・・。
走るのが面白くなってしまい、フルマラソンを目指し始めました。
まずは、ハーフマラソンに挑戦し、意外と走れるだと勘違いした自分。
最初のフルマラソンはとてもつらく、その厳しさを思い知らされたものでした。
スタート直後は快調。
本当はペースをキープしないといけないのに、前の人が邪魔!って
抜かして、抜かして、ジグザグ走行を繰り返します。
これ、一番やってはいけません。
※当時はそれさえもわかりませんでした。
20キロまでは、いつも以上に快調。
途中のドリンクも給食も取れていました。
25キロ過ぎたころです。
異変が・・・
身体が動きません。
なぜか、脚が前に進みません。
給水や給食を口にしたら、脚が動きます。
明らかな燃料切れを起こしていました。
何か口に入れたい!
食べたい!
飲みたい!
でも、給水や給食は5キロごとしかありません。
そんな時、小さい子供が飴玉を渡してくれました!
めちゃくちゃうれしかったのを覚えています。
まあまあ大き目の飴玉でした。
口に入れてしばらく走ったのですが、なぜか飴玉が小さくなりません。
口の中でもごもごするばかり。
もう、私には飴玉を小さくする唾液も出ない状態だったのです。
呼吸が苦しくなるので、渡してくれた子供に
【ゴメン!】
と、思いながら給水のごみ箱に入れました。
※あの時、渡してくれた子供さん、ありがとう!そしてごめんなさい。
35キロを超えると、脚が攣りはじめました。
さらに、日陰が増え始め、身体が凍えて力が入りません。
あの時ほど、お日様の力を感じたことはありません。
何度も何度も止まってはストレッチ。
走る。
ストレッチを繰り返します。
そして、飲む、食べる。
ようやくゴールした時には、ふらふらでした。
タイムは4時間20分だったと記憶しています。
もう、フルマラソンは走らない!
と思ったのはゴール手前1キロ。
ゴールした瞬間には、また走りたいと思っていました。
それから、6回ほどフルマラソンに参加したでしょうか。
コロナ禍で大会が中止され続けているここ数年です。
先日は東京マラソンが開催されました。
私もまたフルマラソンに挑戦したいと考える日々です。
私のプライベートな話にお付き合いいただきありがといございました。